19 2015

当たり前レベルを上げよう

私が小学生の頃、隣に住んでいた従姉妹の部屋は毎晩遅くまで明かりが付いていました。それは勉強をしているのだと親から教えてもらったとき、私は尊敬の念を抱いたものです。そして、将来そのくらいの努力をしないと、学校についていけなくなるんだという認識をしていたのです。

ところが、私が中学に上がる頃でしょうか。従姉妹のお姉さんに「中学って夜遅くまで勉強しないといけないんだよね」と聞いたところ、私の予想とは大きく異なる返答がありました。

「え?私勉強なんてあまりしてなかったよ」
「でも、夜ずっと電気がついてたから勉強してたんじゃないの?」

正直「なんだ、勉強してたんじゃなくて本でも読んでたのか」と思って聞き返したのですが、予想の斜め上どころか垂直に近いレベルで予想を上回る返答が。

「だって、教科書覚えるのは勉強って言わないよね」

それ以来、私は決して彼女と勉強で張り合おうなんていう気を起こさなくなってしまいました。


実際に中学や高校に入って勉強を積み重ねていると、あのとき答えた従姉妹の気持ちが理解できるようになってきたように思えます。端から見る「努力」と自分を基準にした「努力」に差があることを感じます。同じ「努力」という言葉には、大きな隔たりがある。人それぞれ努力の階段の高さが異なるのです。

私にとってハードルの高い「教科書を覚える作業」は、従姉妹にとっては「当たり前の作業」であって、努力ではないらしい。

結局テストで高い点を取る子というのは、客観的に見て当たり前のことを、本人も当然と認識してこなすことができているわけです。当然とみなすレベルが高いのがそこらの子のと差であって、彼らにひたすら努力をしたという認識は無い事が多いように感じます。

テストを控えた3年生の当たり前はどうなったか


中3には、毎回授業の最後に時期に応じた一声をかけ続けてきました。テスト前最後の通常授業となった本日、試験に向けての檄を飛ばしましたが、「当たり前レベル」は上昇してきたのでしょうか。

中1の頃はテスト直前でもフラフラ外出してしまうような子だったのに、テストが近づいてきてかなり不安と緊張が入り交じった表情になってきている。そこに自覚という成長を感じずにはいられません。ある程度の努力をしてきたからこそ、この時期から既に緊張を感じるのです。努力が不足しているなら、緊張は結局当日になっても感じずに終わるでしょう。

それが「テスト前って感じがしない」という崖っぷち状態です。

長時間勉強するのが当たり前に、学校から帰ってすぐに勉強に取り組むのが当たり前に、地道に毎日暗記の作業を積み重ねるのが当たり前に、それぞれ当たり前になっていくことで精神的な負担感は大きく軽減されます。「当たり前レベル」が高まってきた今こそ、真価を発揮するときではないでしょうか。


そんな上級生を尻目に、中1は1つ1つの当たり前レベルが低い。宿題のきめ細かな処理を指示通りできていなかったり、低い意識による忘れ物などを無くすのが先決です。それらが当たり前になって初めて学力が上昇気流に乗っていくのだと思います。

頑張って、というのも何だかなあ、という気がします。
もう少しこちらも鬼になるとしましょう。

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